神社豆知識

神社豆知識

Q&A 目次

参拝に関すること

Q.参拝作法は?
A. 一般的な神社での参拝作法は、「二拝二拍手一拝」です。姿勢を正して、まず二回深くおじぎをし、次に二回拍手(かしわで)を打ち、最後にもう一度深くおじぎをします。
Q.『手水(てみず)』の作法は?
A. 神社には「手水舎」という手を洗う場所があります。これは罪穢を祓う禊(みそぎ)の簡略化と考えられ、神様の前に進む際、心身を清めるためのものです。
作法は、
  1. 1. 右手で柄杓(ひしゃく)を持って、水を汲み、左手にかけます。
  2. 2. 次に柄杓を左手に持ち替えて、右手にかけます。
  3. 3. 再び右手で柄杓を持って、左手に水を溜め、口をすすぎます。
  4. 4. 口をつけた左手を清めるため、もう一度左手にかけます。
  5. 5. 最後に柄杓を立てて、残った水で柄杓を洗います。

上記の手順を一杯の水で行いますので、配分に注意する必要があります。

Q.『玉串奉奠(たまぐしほうてん)』の作法は?
A. 正式参拝やご祈祷のときは、玉串を奉ってお参りしていただきます。
手順は、
  1. 1. まず右手で榊の根元を上から持ち、左手で榊の中程を下から支え、胸高に持ちます。
  2. 2. 御神前に進み、一礼をしてから、
  3. 3. 玉串を立て、左手を右手に添えて、両手で榊の根元を持ち、玉串に祈念します。
  4. 4. 右手で榊の中程を下から支え、根元を時計回りに180度回転させ、
  5. 5. 案(あん:神事に使用する机)の上にお供えします。
  6. 6. その後に、「二拝二拍手一拝」でお参りします。
Q.祈祷料等の金品をお供えする際、表書きは?
A. 昔はその年に収穫された稲をお供えしていたことから「初穂料」、玉串や榊の代わりに「玉串料」「御榊料」などが一般的です。「御神前」「御供」もよく使われます。「上」「奉納」「奉献」と書かれる場合もあります。
この他、神式の葬儀のお供えについては、「御霊前」「玉串料」「御榊料」という表書きが用いられます。
Q.お参りのとき、鈴を鳴らすのはなぜ?
A. 神前で鈴を鳴らすようになったのは、一説によると古来から鈴には魔除けの霊力があるとされ、それが転じて神事の際に鈴を鳴らすようになったようです。
巫女が手に持って鳴らす「神楽鈴」、その音には神様をお招きする役割があったそうです。つまり神前で鳴らす鈴も、この神楽鈴に由来するとされ、神様に拝礼するにあたり、鈴のその清らかな音色で神様をお招きし、これから祈願を申し上げるという、一種の合図のような役割を果たしているのです。
Q.お賽銭にはどういう意味があるの?
A. 元来、「賽銭」とは祈願成就のお礼参りの際に、「報賽(ほうさい)」として神仏に奉った金銭のことをいいました。それが転じて、参拝の時に奉る「幣帛(へいはく:神様に奉献する物)」の代わりとしての金銭を意味するようになりました。つまり賽銭とは供え物の一種なのです。金銭が流通する以前は、参拝者は金銭に相当するものとして、お米を神前に撒いたり、洗米を紙に包んで奉っていました。今でもその名残として金銭の代わりにお米をお供えする人や、賽銭箱に賽銭を投げる際、紙に包む人もいます。

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神棚のお祀りの仕方に関すること

Q.神棚(御神札)を祀る方角は?
A. 神棚(御神札)が南か東に向くように、つまり北か西の壁にお祀りしてください。またできれば目線より高い位置に、そしてその下を人が通ることのないように(扉の上などはNG)してください。
Q.神棚への御神札の納め方は?
A. 神棚は、一般的に一社造(扉が一つ)のものと三社造(扉が三つ)のものがあります。御神札を納める順番は、一社造の場合、手前から(1)天照皇大神宮、(2)氏神様、(3)崇敬神社となり、三社造の場合は、中央に(1)天照皇大神宮、向かって右に(2)氏神様、左に(3)崇敬神社を納めてください。
また、年が変わり古くなった御神札は、神社に納めてお炊き上げをし、新しい御神札を受けましょう。
Q.神棚へのお供え物はどのようにすればよいの?
A. 一般的な家庭でのお供え物は、米・酒・塩・水になります。
お供えの順番もあり、米→酒→塩→水という、神道の考え方で重要な順番でお供えします。これに榊を追加してお供えする場合もあります。大事なのは、神棚へ手を合わせ、日々の感謝の気持ちを込めることだと思います。何かお祝い事などがあれば、神様にご報告し、家族全員で慶びを分かち合いましょう。

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ご祈願に関すること

Q.『初宮詣(はつみやもうで)』はどうすればよいの?
A. 初宮詣は、一般的に生後30日前後に家族揃って氏神様にお参りし、無事に子供が産まれたことに感謝し、その子がすくすくと丈夫に育つことをお願いするとても尊い神事です。お子様とお母様の体調に十分留意して、皆さんで氏神神社にお参りしましょう。妊娠や出産に関する行事としては、妊娠五ヶ月目の戌(いぬ)の日に「帯祝い」があります。犬が多産なのにあやかるためと、一般的に言われています。また、出産後7日目の「お七夜」には子供の命名書を作り、神棚に捧げて、家族の一員としてお守りしていただくようお願いします。
それから生後百日前後には「お食い初め」といい、お祝いの食事をお子様に食べさせます。これは一生食べ物に不自由しないという思いが込められています。
Q.『七五三詣』について教えて?
A. 一般的に11月15日に、3歳の男女・5歳の男子・7歳の女子が家族で氏神様にお参りをし、これまで無事に成長してきたことに感謝し、これからも健やかに育ち、立派な成人となることを祈念する神事です。そもそもこの行事は、古来より通過儀式として行われ、3歳の男女が頭髪を伸ばし始める「髪置(かみおき)」、5歳の男子が初めて袴を着ける「袴着(はかまぎ)」、7歳の女子が子供用の紐を大人用の帯に変える「帯解(おびとき)」を起源としています。
また、11月15日という日取りについては、天和元(1681)年に徳川五代将軍綱吉公の子・徳松の髪置祝いがこの日に行われたことから、と伝えられています。
Q.『厄祓(やくばらい)』をしてもらいたいのですが…。
A. 厄年は肉体的にも精神的にも調子を崩しやすい年齢として、古来から忌み慎むべきとされてきました。厄年とする年齢は数え年で、男性は25歳・42歳・61歳とされ、女性は19歳・33歳・37歳とされています。
それぞれ前後を、「前厄(まえやく)」「後厄(あとやく)」といい、同じく忌み慎むべき年齢とされています。また、男子の42歳、女子の33歳は「大厄(たいやく)」といい、特に注意する必要があります。
神社で厄祓を受けて、その年が無事に過ごせるようお祈りしましょう。

平成29年厄年(数え年)

〈男の厄年〉
前厄 本厄 後厄
24歳
平成6年生
(いぬ)
25歳
平成5年生
(とり)
26歳
平成4年生
(さる)
41歳
昭和52年生
(み)
42歳
昭和51年生
(たつ)
43歳
昭和50年生
(うさぎ)
60歳
昭和33年生
(いぬ)
61歳
昭和32年生
(とり)
62歳
昭和31年生
(さる)
〈女の厄年〉
前厄 本厄 後厄
18歳
平成12年生
(たつ)
19歳
平成11年生
(うさぎ)
20歳
平成10年生
(とら)
32歳
昭和61年生
(とら)
33歳
昭和60年生
(うし)
34歳
昭和59年生
(ねずみ)
36歳
昭和57年生
(いぬ)
37歳
昭和56年生
(とり)
38歳
昭和55年生
(さる)
Q.『地鎮祭』について
A. 地鎮祭とはその土地の霊を鎮め祭る儀式のことです。
万物には霊があるという日本人の物の考えから、土地にも霊がいるとされてきました。神道ではこの霊を大地主神(おおとこぬしのかみ)という神様で信仰しています。
建物を建てる前に行う地鎮祭ではこの神様にご挨拶をし、同時に土地を守っていらっしゃる氏神様にもご挨拶をします。心を込めたお供え物をし、どういう理由でどういう工事をするのでご了解いただき、どうかお守りくださいますように、とお願いをする祭りです。
目に見えないものはつい忘れがちになりますが、傲慢にならず謙虚に感謝の気持ちを持ちたいですね。

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神事に関すること

Q.『大祓(おおはらい)』という行事について教えて?
A. 大祓は、年二回、一般的に6月30日と12月31日に行われます。6月の大祓を「夏越(なごし)の祓」と呼び、無病息災を願いつつ、茅や藁を束ねた「茅の輪くぐり」という神事もあります。「水無月の夏越の祓する人は千歳の命のぶというなり」という句は有名です。
12月の大祓は「年越の祓」と言われ、新たな年を迎えるために心身を清めるための祓いです。
人は知らず知らずのうちに罪や穢を犯し、それが降り積もってきていると考えられています。罪穢を御神徳に依り祓い除いて身も心も清々しく、新たな気持ちでスタートできることを祈願する節目の神事です。
「形代(かたしろ)」「人形(ひとがた)」と呼ばれる紙に、自分の名前や年齢を記入し、身体の各所を撫で、息を三回吹きかけ、心身の穢を形代に移し、初穂料を添えて神社にお持ちください。神事の開始時間は神社によって異なりますので、事前にご確認ください。
Q.『大祓式』で神主さんが「オー」と言う場面がありますが、これはどういう意味なのでしょうか?
A. 「オー」というのは「称唯(いしょう)」と呼んでおり、応答の意味です。
年二回の大祓式に奏上する「大祓詞」は、別名「中臣(なかとみ)の祓」と言っています。中臣氏は古代より朝廷の祭祀に奉仕した最も有力な神祇氏族です。この「中臣の祓」は「宣下体」という上位の者から下位の者たちへ申し渡すという形態をとっており、文末に「諸聞食宣(もろもろきこしめせとのる)」=「皆の者どもに申し聞かせるぞ」という祭主(宮司)の言葉に下位の者が「承りました!」という感じで「オー」(称唯)で返事をしているわけです。
Q.『大祓』の「茅ノ輪くぐり」にまつわる話は?
A. 「夏越の大祓」(毎年6月30日)には、「茅の輪くぐり」という神事があります。鳥居に茅の輪(茅:イネ科、漢方では利尿、止血、発汗剤に用いる)を結びつけ、その輪を3回くぐり抜けることで、罪穢を取り除き、心身ともに清々しくなるよう祈念するものです。この「茅の輪くぐり」の起源は、『備後風土記』に以下のような話で見ることができます。
神代の昔、「武塔(ぶとう)神」(=素盞嗚尊)が、南海の方にお出かけしたとき、一夜の宿を「蘇民将来(そみんしょうらい)」と「巨且将来(こたんしょうらい)」という兄弟に求められました。弟の巨且将来は裕福であるにもかかわらず、それを拒みましたが、兄は貧しいながらも、粟がらの座を造ったり、粟飯を出すなりして、精一杯のおもてなしをしました。それから年月が経ち、武塔神は再び蘇民将来の家を訪れ、「もし天下に悪疫が流行したら、”ちがや”で輪を作り、これを腰に着けていれば災いを免れるであろう」と教えました。間もなく、天下に悪疫が流行し、人々は次々に病に倒れ、亡くなった人は数知れない程でありましたが、蘇民将来の家のみは何事も無く無事であったといわれています。これ以来、人々は悪疫の流行る時には「蘇民将来の子孫」と言って、茅輪を家に掛けると災難を免れることができると言い伝えられています。
つまり最初は「茅の輪」も腰に着ける程度の小さいものでしたが、時代を経るにつれて大きくなり、今では鳥居などに取り付けるようなりました。
Q.「茅の輪くぐり」は、なぜ八の字に?
A. 「茅の輪くぐり」の回り方に決まりがあるのをご存知ですか?ちょうど「八の字」を描くようになります。
これは、
  • ・ ご神前に進む際、回り道をしながら、すぐに近づくことはしない
  • ・ 神様に向って「左右左」という順序
  • 大麻(おおぬさ:神主がよく振っているものです)で、お祓いする際に、「左右左」と振ります。
  • 神様に向って右が上位・左が下位となり、進む(=神様に近づく)ときは下位の左からとなります。

以上の2点から、この茅の輪くぐりも、輪をくぐってまっすぐ進むことなく、まず左回りから、次に右回り→左回りという順序で、ようやく神様に近づくことができる、ということになります。
結果的に八の字を描いていることになります。

Q.祈年祭の「年」の意味について
A. 毎年2月17日、宮中賢所を始め、全国の神社で行われる「祈年祭」は「としごいのまつり」ともいいますが、この「年」とは「稲」を意味し、稲種を蒔く季節の初めにあたり、その豊穣を祈る神事です。つまり人間の生命の糧を恵んで下さるようにとお祈りするお祭りといえます。したがって一粒の米にも神様の御霊が宿ると考えられているのです。
Q.地鎮祭などの式中に行われる「警蹕(けいひつ)」は?
A. 例大祭や地鎮祭などの祭典中、神職が「オー」という声を発するのを聞いたことがありますでしょうか? これは神様がお出ましになる「降神の儀」などの次第のときに行います。これを「警蹕」と言います。
「警」には警戒するという意味があり、「蹕」には行く人を止めるという意味があります。つまりこれは天皇のお出ましや貴人の通行の際、人々が不敬の行為をしないようにと先払いが声をかけて注意をし、警戒するというのが本来の意味であり、このことが神事に於いても取り上げられるようになり、警蹕の間は神職や参列者が頭を下げて敬礼するようになりました。
Q.神道の祖先供養について教えて?
A. 大祓の行事でも書きましたが、日本では古くから夏と冬に1年の始まりがあったと考えられ、お正月とお盆は祖霊を迎える特別な日として大切にしてきました。嬉しいときに使う言葉、「盆と正月が一緒にきたようだ」と言われるように、亡くなった人の魂はいつまでもこの地に留まり、子孫とともに生き、その幸せを見守ってくれるものと信じてきました。そうした祖霊の守護に感謝を捧げ、お祭りや行事を行うのが、お正月、お盆あるいはお彼岸などでありました。
ですので、お正月も各家庭で門松を飾り、鏡餅を用意し、祖先の霊である年神(としがみ)さまを迎えます。年神さまは、その一年の幸せをもたらしてくれると信じられていました。
お盆も古来は神道管轄の習慣でしたが、平安時代の神仏習合の際の妥協策として、盆の行事は仏教に移管され、代わりにお正月は神道の管轄が保障されたといわれています。
お盆というのは元々旧暦の7月15日に行っていた行事でしたが、新暦で生活している一般の人々が旧暦でお盆の行事を行うのは不便ということで、新暦でひと月遅れの8月15日にお盆の行事をすることになりました。「月遅れの盆」というのはこのためです。ちなみにお盆の語源は一般的には、「盂蘭盆(うらぼん)」の略とされていますが、供え物を載せる容器を日本の古語で「ボン」といったことから盆になったという説もあり、盆行事は、日本に古くからあった祖霊祭の名残であろうとも考えられています。
祖先供養の行事としては、この盆のときは、13日夕方の迎え火に始まり、16日の送り火に終わります。地域によって、新暦を中心に行うところも多くあります。京都の大文字もこれが大規模になったものです。盆踊りも文字通り、祖先供養の考えのもとでの行事です。実は七夕もそうでした。笹竹に色紙や願い事を書いた短冊をつけて軒先に立てますが、これは、お盆に祖霊を迎えてお祀りする盆棚の旗飾り(はたかざり)からきているといわれています。七夕には水に関する行事が多いことから、お盆の行事の前に、穢れ(けがれ)を祓い(はらい)清めるための行事であったようです。
Q.神葬祭について教えて?
A. お葬式というと仏式が多いですが、これは江戸時代の寺請制度(てらうけせいど)のもとで普及しました。しかし、一方、日本古来の葬儀のあり方を見直す運動も起こり、明治時代になって神道式による葬儀を行うことが一般に認められるようになりました。これが神道式のお葬式、「神葬祭(しんそうさい)」です。一般的な流れは、以下のようなものです。
  1. 1. 遺体を棺に納める「納棺(のうかん)の儀」
  2. 2. 夜を徹して故人の御霊を慰める「通夜祭(つやさい)」
  3. 3. 故人の御霊を霊璽(れいじ・仏教の位牌にあたるもの)に遷す「遷霊祭(せんれいさい)」
  4. 4. 告別式にあたる「葬場祭(そうじょうさい)」
  5. 5. 火葬に付す「火葬祭(かそうさい)」
  6. 6. 遺骨を埋葬する「埋葬祭(まいそうさい)」
  7. 7. 葬儀が滞りなく終了したことを霊前に奉告する「帰家祭(きかさい)」
  8. 8. 五十日祭を終え家中をお祓いし、神棚のおまつりを再開する「清祓(きよはらい)」
  9. 9. 亡くなって100日目に行う「百日祭(ひゃくにちさい)」
  10. 10. 毎月、毎年巡ってくる亡くなった日に故人を偲ぶ「命日(めいにち)」
  11. 11. 満1年、2年、3年、5年、10年、以下10年ごとに行い、50年の次は100年、以下100年ごとに行う「年祭(ねんさい)」

このときのお参りの仕方も二拝二拍手一拝ですが、故人を偲び慎むという考えから、拍手の際に音を立てません。これを忍手(しのびて)と言います。

Q.「新嘗(にいなめ)祭」と「神嘗(かんなめ)祭」の違いは?
A. 毎年11月、宮中及び全国神社で行われる収穫感謝祭が「新嘗(にいなめ)祭」で、毎年2月に同様に行われる「祈年祭」(豊穣祈願祭)と相対関係にあり、『皇室祭祀令』『神社祭祀規定』には「大祭」として最も重要な神事とされています。
一方、「新嘗祭」に先立ち、毎年10月に伊勢神宮で行われる独自の収穫感謝祭が「神嘗(かんなめ)祭」で、伊勢の地元では古くから「大祭(おおまつり)」と呼ばれており、『神宮祭祀令』には大祭中の大祭として掲げられています。
伊勢神宮でも「祈年祭」「新嘗祭」は行われますが、「神嘗祭」には生命の糧であるという収穫したての新穀を先ずは一刻でも早く皇祖天照大御神にお供えし、ご報告を申し上げるという意味合いがあります。因みに、この「神嘗祭」が行われる期間のうち10月17日は伊勢神宮の御遷座日になっています。

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社殿・境内に関すること

Q.手水舎などの柱に貼られているシールは?
A. 確かに、手水舎や社殿などの柱に、人の名前や屋号などを書いた紙片がよく貼ってあります。これは「千社札(せんじゃふだ)」と呼んでいます。
室町時代の頃から数多くの神社仏閣を巡拝する風習が生まれ、江戸時代には四国八十八箇所の霊場の参詣や、各地の観音霊場の札所巡りが流行りました。そのとき訪れた証(あかし)として、自分の名前などを記した木や紙の札を納めたことに由来します。本来は寺院を対象にしたものでしたが、数多くの神社仏閣を巡礼する千社詣が流行ると、神社においても千社札が貼られるようになりました。
札は最初は手書きでしたが、のちに木版刷りになり、さらには黒刷りから色彩刷りへと変化し、デザインを競ったり、できるだけ高い所に貼り付けのを自慢するなど、趣味の分野にもなってきました。
Q.秋に、懸けられた稲束を見ますが、あれは何?
A. 1月23日は、新穀に感謝する「新嘗祭(にいなめさい)」が行われます。よく神社境内に稲束を竹竿にかけている様子を見ることがあります。そこに「懸税(かけちから)」と書いているのを見ますが、これはどういう意味があるのでしょうか?
懸税の起源は、垂仁天皇時24年頃になります。『大神宮本記』によると、古くから伊勢神宮に於ける神嘗祭の際に、神戸・その他の神領から奉献される、その年の稲穂(新穀)を瑞垣あるいは内玉垣にかけてお供えする「懸税制度」があり、天照大神様の広大なご神徳に感謝の誠を捧げ、我が国永遠の繁栄を祈念する民族的行事です。
懸税の「税(ちから)」とは、「年貢」のことをいったもので、稲穂を”懸けて”奉るために、「懸税」と呼んだといわれています。
Q.よく境内で5色の旗を見ますが、あれは何を意味しているの?
A. 神社に初詣に行くと、よく境内に五色の旗がたなびいているのを見る機会があります。五色は、青(緑)・黄・赤・白・黒(紫)のことですが、この色にはどんな意味があるのでしょう?
この五色は、古代中国の「五行説(ごぎょうせつ)」に由来します。五行説は、木・火・土・金・水の五つの要素により万物が組成され、自然現象や人事現象(人間関係)の全てを解釈し説明するものです。木・火・土・金・水は各方位に対応し、さらに各方位を守る四神(高松塚古墳の壁画にも描かれている四方の守護神)とその色に対応し、
  • 木=東=青龍=青(緑)
  • 火=南=朱雀=赤
  • 土=中央(天位)=黄
  • 金=西=白虎=白
  • 水=北=玄武=黒(紫)

となります。
土の色が黄となる理由としては、中国の大地の色が黄色であるからともいわれていますが、色の無い水の色を黒にあてるのは少々無理があるように思われますが…。

Q.「鳥居」の起源と語源について教えて?
A. 鳥居の起源については、一説によると、天照大御神が「岩戸隠れ」の際、鶏を止まり木にとまらせて鳴かせたところ、それによって天照大御神が岩戸から出てこられたことから、以後、神前には鶏の止まり木を作るようになり、それが鳥居になったといわれており、語源については、「通り入る」とか「鶏居」という言葉が転化したものといわれております。
Q.注連縄を張られた木の意味は?
A. 神社では、境内にあって神社にゆかりのある木、ひときわ目立つ巨木あるいは老木を「神木(しんぼく)」として、注連縄を張ったりしてお祀りしています。古来より、神木は神様の宿るところであるとか、神様の降臨するところとされており、注連縄を張って、他の木々との差別化を図っています。
Q.狛犬は「阿吽」の2体でセット?
A. 鳥居とともに神社に欠かすことのできないものが狛犬です。そもそもどういう由来があるのでしょう?ある説では、エジプトのスフィンクスが、シルクロードを辿り、中国では獅子となり、そして日本では狛犬になったとも言われています。神様を守護する役割を持っていることは、皆さんご存知のことかと思います。
ところで、狛犬は参道の両脇にあって、2体でセットになっていることは周知のことかと思いますが、右側の狛犬は口を開けた「阿(あ)」左側の狛犬は口を閉じた「吽(うん)」、となっていることはご存知でしょうか?この「阿吽(あうん)」は、生き物が口を開けて生まれ、口を閉じて死ぬことから、万物の始めと終わりを意味するといわれています。この組み合わせは日本特有のもので、寺にある仁王(におう)像のスタイルを模したようです。
Q.稲荷社と狐と油揚げの繋がり
A. 当社境内地に四合稲荷社という稲荷神社があります。氏子区域にあった四つの稲荷神社を合祀したことから、勝海舟翁が命名した神社です。
ところで、稲荷社といえば狐、狐といえば油揚げという発想ができますが、これはどういう繋がりがあるのでしょうか?稲荷神社の本社は、京都の伏見稲荷大社というのは有名です。穀物の神である、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)がご祭神になります。狐はその神様の使い、守り神として、狛犬の代わりとしてよく社殿の両脇に祀られています。これは、穀物を食べる野ネズミを狐が食べてくれるので、狐を穀物の守り神と考え、そこから結び付いたというのが有名な説です。その他の説として、宇迦之御魂神と同体の御饌津(みけつ)神が誤って三狐神と書かれ、そこから狐が登場したという説、伏見の地には秦氏が入ってくる以前に狩猟の民が山の神を信仰しており、その象徴が当初狼であったのが、いつか狐に変化して後からやってきた農耕の民たちの神と習合したという説もあります。
狐は本来肉食なのですが、古くから鼠の油揚げが好物とされており、そこから稲荷神社に豆腐の油揚げが供えられるようになったと言われています。「稲荷寿司」と名付けられたのもわかります。
稲荷信仰はいつしか穀物の神から商売繁盛の神に転じて、江戸時代には多数祀られるようになりました。江戸の名物を表現する言葉として、「火事・喧嘩・伊勢屋・稲荷に犬の糞」というはやり言葉があったほどです。
Q.「燈籠」(とうろう)について
A. 「燈籠」は奈良時代の初めに百済(朝鮮半島)から伝来したものと言われ、神社のみならず寺院にもあります。いずれも神仏への献灯(けんとう)を目的としてたてられ、火を灯すことによって神仏のご加護をより一層強く祈るためと考えられています。
「燈籠」には石燈籠・金燈籠・台燈籠・釣燈籠など、材料や形によって様々な種類があり、一般的に屋外には石燈籠を、屋内には釣燈籠を用いる社寺が多いようです。因みに春日大社(奈良県)の通称「万燈籠」は、祈願が成就した御礼にと多くの方々より奉納されたものです。
Q.「随神」(ずいじん)について
A. 「随神」は、神社の社殿や社地などを守る神さまで、神門や社殿内に対で安置されており、右大神・左大神(うだいしん・さだいしん)という俗称があります。左右二神共、弓と矢を携え剣を帯びており、これはその昔、武装して貴人の護衛にあたった近衛府の舎人の姿で、「随身」と呼ばれていました。その随身が転じて、主神に従い守護するという意味で「随神」となったようです。先年行われた大嘗祭や即位の礼においても、弓と太刀を携えた人が守衛にあたっていました。
Q.「神紋」(しんもん)について
A. 「神紋」とは神社ごとに定められた紋章の事です。神社では一般的に象徴として社頭に掲げられることが多くなっています。神紋の出現は家紋の出現とほぼ同じ頃になるといわれ、鎌倉時代には家紋が神紋として取り入れられたり、逆に神紋が家紋になる例も出てきます。全国に広く用いられ代表とされるのが「巴(ともえ)紋」です。数だけを見ると最も多いのが「稲紋」になります。これは小さな神社まで含めると稲荷社が多いためです。神紋には他にも花をあしらった紋から文字や天体を神紋にしたもの、鳥紋や雲紋と非常に多種多様で、皆様も色々な神社にお参りされる際にはその神社ではどういった神紋が使われているかを見てみるのも面白いかもしれません。

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神道用語に関すること

Q.「一宮(いちのみや)」とは?
A. 平安時代の頃、日本の諸国それぞれの国内で第一番の地位をもった神社を「一宮」としました。国司(現在の知事のような人)は勤める国の主要な神社にお参りすることが決められており、まずお参りするのがこの一宮だったそうです。また国司は神社の管理やおまつりを行う役目もあったといいます。
ちなみに、当赤坂氷川神社の本社である埼玉県大宮に鎮座する氷川神社は武蔵国の一宮です。
Q.「玉串(たまぐし)」とは?
A. 榊の枝に紙垂(しで:注連縄等に垂れている雷の形のような白い紙)をつけて神前に奉るものを「玉串」といいます。
語源には様々な説がありますが、本居宣長の説によると手向串(たむけぐし)の略と見ているそうです。古くは鏡・玉・木綿・麻などの貴重な品々をささげるために、常緑樹の枝に乗せていたのが、次第に木綿・麻になり、そして紙に代わり、現代の形になったのではないかと考えられています。
形は変われど、その捧げ奉る清き真心は変わらず。これからも大切にしていきたいですね。
Q.「榊(さかき)」の語源について教えて?
A. 神社で正式参拝すると、「玉串奉奠(たまぐしほうてん)」という神事があります。これは「榊(さかき)」に紙垂(しで)と結んだ玉串を神様に捧げてお参りすることですが、榊の語源はどういうものでしょうか?
「榊」は暖地の山林に自生するツバキ科の常緑樹です。字を見てもわかるとおり、榊は「神」と「木」を合わせた字ですから、神様に関わり深い木ということになります。神様の聖域と人間の俗社会との「堺」を示すための木、つまり「堺木(さかいき)」が転じたという説や、「栄木(さかき)」あるいは神聖な木を意味する「賢木(さかき)」が転じたとする説があります。元来、榊とは固有の植物名ではなかったようで、のちに特定の木を指して榊と呼ぶようになったようです。
地方によっては榊が生育しない場所があるので、同じ常緑樹である杉・樫(かし)・樅(もみ)などが代わりに使っています。
Q.なぜ「直会(なおらい)」って言うの?
A. 「直会(なおらい)」とは、神様にお供えしたお神酒やご神饌を祭典終了後に下げて、祭典に関わった人達で共に頂くことを言います。つまり、神様の御霊のこもったものを頂くことになるのです。
語源は、「直り会い」を縮めたもので、この場合の「直る」とは、祭典中の特別な状態から、平常の状態に戻ることを意味するものと考えられます。このように直会は、祭典の締め括りとして、大切な意義を有することなのです。
しかし、いくら平常とはいえ、この席でハメを外すことは避けたいものです。
Q.神主が手に持っている「笏(しゃく)」について
A. 今でこそ「笏(しゃく)」を持つことは神職に限られていて、神職には欠かすことのできない持ち物の一つとなっていますが、かつては官位のある人であれば、儀礼用の服装をするとき、必ずこの笏を持っていました。
笏は、欽明天皇の頃(6世紀)に、中国から伝来したと言われており、中国においては役人が君命の内容を忘れないように書いておくための板でありました。日本においては、君前での備忘のため、必要事項を書き記した紙(笏紙)を裏面に貼って用いていました。後に、重要な儀式や神事に際し、笏を持つ人のその姿勢や心正すための持ち物となりました。
Q.「山車」の語源について
A. 「御輿・神輿」は、ご存知のとおり神社祭礼等で巡行に使用するもので、神様をお乗せし、氏子領域を見ていただくためのものです。古来、「輿」は貴人の乗り物のことで、その語源は「越し」と考えられています。では、同じ祭礼で巡行される「山車(だし)」はどうでしょうか?用途は神輿と同じです。由来は、屋台の鉾につけた竹籠の編み残し部分の垂れ下がて”出して”いるのを「だし」と言ったとも、神様をお招きするために外に”出して”おくことから、とも言われています。「山」「車」という漢字は当て字で、神様の降りられる「依代(よりしろ)」として小さな山をつくり、それを移動できる車となったことから、この漢字が当てられたと考えられています。
Q.「神道」という言葉はいつ頃から使われている?
A. 『日本書紀』の第31代用明天皇の系に、「天皇信仏法尊神道」(天皇は仏法を信じ、神道を尊びたもう)とあり、これがわが国の文献上で初出のようです。神道は日本民族の間に自然に生まれ育った伝統的な神祇信仰なので、これに対する固有の呼称はなかったようですが、欽明天皇の御時に伝来した仏法に対比して、神道と表現することにより区別したとされています。
ところで、中国では『易経』に神道という言葉が用いられていますが、こちらの方は日本と違って、霊妙なる道という意味のようです。
Q.御守りの起源は?
A. 御守りは、神棚におまつりしているような御札を小さくしたのを御守り袋にいれ,神のご加護をいただき災厄から身を防ぎ、また諸祈願の支えになるように常に身につけられるようにしたものです。神棚の御札は空間全体を守り、御守りは主に個人を守る役割があります。
もともと陰陽師や寺院が作製し授与していたものを、神社もこれにならい授与したのが始まりだといわれています。平安中期頃には、紙や木の板でできた小さな御札に紐を通し首からぶらさげ常に携帯できるようにした「懸守り(かけまもり)」と呼ばれる御守りがあったようです。
Q.「命(みこと)」と「尊(みこと)」の違いは?
A. 「ミコト」とは神様やとても身分の高い人物の名前の下に用いる敬称です。当社の御祭神、素盞嗚尊・奇稲田姫命・大己貴命のように、ミコトには「尊」と「命」の2通りの漢字が当てられています。これについて『日本書紀』によると、「尊」は主に天つ神(高天原に関する神々)や、皇室の祖先の神に、「命」はその他の神に対してと、使い分けされています。しかし、『古事記』の方には使い分けなく「命」と記されており、この使い分けは全てにおいてではないようです。
Q.「注連縄(しめなわ)」の語源は?
A. 漢字の読み方でもよく出題されるこの「注連縄」、そもそもなぜ「注連」と書くのでしょうか?注連縄は神聖な空間との境を示すために張り巡らす縄のことで、神棚の前面に張ったり、地鎮祭等で四隅に立てた竹を囲うように張った縄であることは周知のことと思います。この「注連」はもともと中国で死霊が入り込まないように、水を”注”いで清め”連”ね張った縄のことで、これがあてられたと考えられています。

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その他

Q.氷川神社って、各地にあるけど?
A. 神社本庁のデータによると、「氷川」の名の付く神社は全国で261社あり、内訳は―埼玉県に162社、東京都に68社、福井県に12社、福島県に5社、茨城県・栃木県・神奈川県・山梨県・島根県にそれぞれ2社、北海道・千葉県・長崎県・鹿児島県にそれぞれ1社となっており、関東を中心に鎮座、荒川流域に多く分布しています。
氷川神社の本社は埼玉県の大宮に鎮座する旧官幣大社・武蔵国一ノ宮の氷川神社で、ここから御霊(みたま)を分け(ご分霊)、各地に氷川神社が祀られました。そのため原則どこの氷川神社もご祭神は同じです。
出雲の氏族であった武蔵氏が武蔵国造(くにのみやつこ)となって移住した時期、氷川の信仰が広く祀られたといわれています。「氷川」の名は、出雲の簸川(ひかわ・現在の斐伊川)の名に因むものといわれ、農業用水として大きな恩恵を受ける一方、水害にも悩まされた荒川を簸川に見立て、畏敬の念をもって信仰していたと考えられます。
河川に沿って分布している関東の神社としては、他に香取神社・久伊豆神社があります。それぞれ元荒川・利根川という大河川に沿って、お互いに境界を侵すことなく祀られています。氷川神社が祀られた村々はその成立が比較的古く、多くは関東ローム層の丘陵地帯に位置し、森林を開墾し谷の湿地を水田とした農村であり、久伊豆神社は元荒川、香取神社は利根川に沿って分布しますが、この地域は十世紀以降開拓された米作地帯で、度々洪水にみまわれた低湿地であると推定されているようです。
Q.「門松」は歳神様をお迎えする依代
A. 正月を迎える準備として、今ではビルの入口にも飾られますが、家の玄関には門松を置きます。これは新年の神様である「歳神様」を迎えるための目印(降臨の場所)になります。古くから木のこずえに神が宿るという考えられていました。
正月飾り全般に言えることですが、設置期間は一般的には28日までに飾るか、30日が良いとされています。29日は「二重苦」、31日は「一日飾り」と言われ、縁起が悪いと考えられています。(※地域によって考え方が異なる場合があります。)年が明けて片付けるのは、現在では7日が一般的です。そのため、その設置期間を「松の内」と呼んでいます。
Q.「七草粥」について
A. 七草粥とは、芹(せり)・薺(なずな)・御形(ごぎょう)・繁縷(はこべら)・仏座(ほとけのざ)・菘(すずな)・蘿蔔(すずしろ)の七種類の野草野菜を刻み、粥に入れて食べる日本古来の風習です。昔は現代のような米余り等、夢のまた夢。米は大変貴重な贅沢品で、一般にはハレの日(祭礼)に頂くものでした。新米が取れると、最初に神前に供え、五穀豊穣を祈る神事の後、お下がりを頂いたのです。七草粥もこうした神や自然の恵みへの感謝と、新年(=年神様)を無事にお迎えしたことへの慶びを込めた神道的な意味合いもあります。
Q.なぜ「鏡開き」というのでしょうか?
A. 正月にご神前にお供えした鏡餅を下げ、雑煮などにして食べることを言いますが、なぜ「開く」なのでしょうか? この行事は武家社会の風習であったことに由来します。
鏡餅を下げて食べる大きさに分けるとき、武家社会ですから「切る」ことは避け、刃物で切らずに木槌などで割ります。しかし、やはり「割る」も縁起が悪いので、「開く」という縁起の良い言葉になりました。
古くは、20日が「刃柄(はつか)」に通ずることから、1月20日に行っていましたが、徳川三代将軍家光公が4月20日に亡くなったことで、20日を忌日とし、現在の1月11日になったようです。
鏡は神社のご神体等として、お祀りされているのをご覧になったことがあるかと思います。今でこそ鏡は四角いものが多いですが、古くは円形のもので祭具として用いられ、特別な霊力を持つと考えられていました。供え餅が鏡のような形をしているから「鏡餅」と呼ぶことは有名な話です。
Q.「初午」について
A. 初午とは2月の最初の午(うま)の日のことです。各地域の稲荷神社の総本社である京都の伏見稲荷大社のご祭神が降りてこられた日が和銅4年のこの日であったとされ、稲荷社の信仰である豊作祈願、転じて商売繁盛を祈願する企業やお店が多い日にちになっています。
本来は旧暦2月の最初の午の日ということで、春先の行事でしたが、新暦の現在では2月ということで厳寒の時期になりました。「酉の市」で「三の酉」まである年は火事が多いと言われているように、初午にも「初午の早い年は火事が多い」という俗信があるようです。
Q.「紀元節」と「建国記念日」について
A. 2月11日は祝日「建国記念日」でした。世界各国には必ずその国の成り立ちに関する記念日があり、様々なセレモニーが開催されます。
当神社発行のメルマガ冒頭にも「皇紀」とありますが(ちなみに、平成22(2010)年が皇紀2670年です)、これは神武天皇(初代天皇)が即位され、日本が建国された日が、紀元前660年2月11日とされていることによります。戦前までは「紀元節」とよんで、明治6年に祭日として定められました。戦後、GHQにより昭和23年に一度は廃止されましたが、国民の強い要望により、昭和42年に「建国記念の日」として復活しました。
神武天皇は127歳に崩御されたとなっておりますが、実在の人物ではないとされる説が通説です。しかし、それが事実であるないは関係なく、その国の伝統や由緒を知り、大事にすることが重要なことです。
Q.雛人形の「流し雛」と神社の関係について
A. 3月の桃の節句にお雛様をお飾りして、女の子の健康な成長と幸せな結婚をお祈りする家庭も多いのではないでしょうか。古き良きわが国の習慣ですよね。
この雛人形の起源は「流し雛」にあると言われています。神社で行われる6月と12月の年二回行われる「大祓式」がありますが、この「流し雛」も全く同じ考え方で、この雛人形に罪穢れを宿して川に流す風習で、これが江戸時代に女の子の人形遊びと結びついて現在に至っています。
ところでお内裏様(男雛)とお雛様(女雛)の並び方は宮中のを模していることはご存知のことと思います。昔は向かって右が上位ということで天皇が右、左が皇后となり、雛人形もそれにならっていました。これが昭和3年の昭和天皇の「御即位の大礼」の時、西洋式の並び方を取り入れられ、新聞発表などで天皇が向かって左、皇后が向かって右の写真が掲載され、雛人形の並び方も左・男雛:右・女雛にするようになりました。東京の雛人形卸商組合がこちらに統一しました。
Q.「サクラ」と田の神様
A. お花見は賑やかで楽しいですが、娯楽的要素だけでなく、田の神様をお迎えする儀礼的な要素もあります。桜は田の神様の霊が宿る木と言われます。『サクラ』の「サ」は「清浄」をあらわす接頭語とされ、他に早乙女、皐月、早苗、斎庭(サニワ:神事を行う場)、酒などにも「サ」が付き、清い意味に加え稲の霊力にあやかった接頭語だそうです。続いて「クラ」は「蔵」などのクラで宿る、篭るという意味。清浄な稲の霊力、つまりサ(田の神様)がクラ(お宿り)になる木ということで桜の語源となっています。
サクラの花が開化する頃は丁度農作業が始まる頃で人々は山へ花見に行き、桜の木の下で飲食を共にすることで「神人共食」をし、里に帰ることで里に神様を降りてきていただく働きがあるようです。ちなみに、田の神様は農作業を始める頃、山から里に降りてきて田を守り、収穫が終ると山へ帰っていくと考えられています。
Q.「水引」の種類について
A. 新緑の時期は良い気候ということで、一年の中で最も挙式件数の多い月となります。結婚式に招待され、お祝いを入れる封筒の飾り紐を「水引」と言いますが、どの形のものを使用すればよいのでしょうか?
正解は祝儀用の「結び切り」です。「蝶結びは」、他の一般的な祝い事に使用し、何度も目出度いことが来ることを願う結び方になり、これを結婚式に使用してしまうと、「繰り返す」=離婚し、再婚する事を意味してしまうからです。
遣隋使で有名な小野妹子が、随から帰国の際に同行した答礼使が持参した貢物に結ばれていた紅白の麻紐が起源とされ、以降宮廷への献上品には紅白の麻紐で結ぶ習慣が生まれたと伝えられ、これが室町時代に麻紐の代わりに紙縒(こより)に糊水を引いて乾かしたものが使用されるようになりました。
Q.昔は五月人形は外に飾っていた?
A. 端午の節句には五月人形が欠かせません。男児出生の祝いに無事に成長し、強い立派な子になって欲しい、その願いのもとに鎧・兜を室内に飾ります。しかし、江戸時代では菖蒲で武者人形を作り戸口に吊るしていました。それが後に人形師による武者人形を室内に飾るようになったといわれています。
神事で神様が降りて宿られるものを「依代(よりしろ)」と呼んでいます。つまり目印の役目を果たしています。武家社会では身を守る大事な兜を戸口に飾り、それに神様が宿ると考えられていたわけです。ちなみに鯉幟の吹流しは、神職の祓具である「大麻(おおぬさ)」と同様、心身の罪や穢れを祓って下さる道具として考えられていたようです。
Q.「柏餅」はなぜ柏の葉?
A. 端午の節句には、家族で柏餅を食べる方も多いことと思います。ところでなぜ柏の葉で包むのでしょうか? 柏の葉は新芽が育つまでは古い葉が落ちないことから、「子どもが産まれるまで親は死なない」=「家系が途切れない」という縁起に結びつけ、柏の葉=「子孫繁栄」という意味を持ちます。
この和菓子が登場したのは、徳川九代将軍家重から十代将軍家治の頃と言われています。「端午の節句」行事は中国大陸から伝わってきましたが、柏餅を食して子孫繁栄を願うこと自体は日本の文化ということになります。
神社での正式参拝作法は「玉串奉奠」です。これは榊の枝を供えますが、これも柏同様に生命力の強い常緑樹のため、この木が使われましたと言われています。
Q.七夕について
A. 「七夕」といえば、牽牛星と織女星が年一度、7月7日に天の川をはさんで逢うことができるという伝説が有名ですが、この伝説から織女星をお祀りして裁縫や習字等が上達するように祈る「乞巧奠(きこうでん)」という行事が生まれました。これら中国から伝来した伝説と行事が日本に古くから伝わる棚機女(たなばたつめ)の伝説と結びつき、奈良時代に宮廷や貴族の間に取り入れられ、江戸時代頃より笹竹に様々な願事を書いた短冊をつけて、軒先に立てる風習が始まり、現代に至っています。。
Q.「お中元」について
A. 7月15日は「中元」という節季です。日頃の感謝の念を込めたお中元の贈答が盛んに行われていますが、「中元」は言葉通り、「上元」と「下元」の間になります。上元は旧暦正月15日、下元は10月15日とされています。15日は神祭りが多く、当社でも毎月15日は准月次祭、9月15日には例大祭をご奉仕しています。日々の生活に流されて忘れがちな感謝の気持ちを節目ごとに改めて持ち、人と人、自然と人、神様と人との結びの力を強めていきたいものですね。
Q.お祭りの多い月は何月?
A. 全国の神社で一番多くお祭りが行われる月は何月だと思いますか?
神社本庁の『全国神社祭祀祭礼総合調査』によると、全国的には10月が多いのだそうです。ですが、地域ごとに見ていくと東北の方では8月と9月に、九州の方では10月から12月にお祭りを行っている神社が多いようです。これは地域ごとの気候が影響しているとも考えられます。ちなみに東京都では9月が一番多い月です。当社も9月です。
Q.「猿田彦」について
A. 祭礼の巡行隊列の先頭に立つ、高下駄に煌びやかな装束をまとった長い鼻の赤い顔。その姿を見て、天狗やお化けと思う方も多いですが、実は日本神話にも登場する「猿田彦」という道案内の神様なのです。
この神様は天孫降臨の際、道案内を申し出で、案内後は伊勢の地に鎮まり、現在は三重県猿田彦神社に祀られています。
Q.「盆踊り」特有の手の動きにはどういう意味が?
A. 盆踊りの意味には様々な説があります。お盆に戻ってきた祖先の霊や精霊たちを慰めるために踊る説。お盆の供養のおかげで成仏することの出来た亡者たちが歓喜する姿を表現したという説。お盆に戻ってきた祖先の霊を踊りに巻き込みながら送り出すという説などです。あの盆踊り特有のゆっくりとした手の動きは祖先の霊を送り出すことを表現しているそうです。
最近では宗教的な色合いが薄れてきていますが、本来はこのような意味が込められていました。また、私たちが祖先に感謝し、生きていることの喜びを表現するために踊るとも考えられています。
Q.重陽の節句について
A. 古来、中国では奇数は陽の数とされ、その中で「九」は最大の数であり、九月九日は、それが重なることから「重陽の節句」と言われるようになりました。中国ではこの日、菊酒(菊をひたした酒)を酌み交わし邪気を祓い、寿命が延びるようにと万民が願いました。
日本には平安時代頃に伝来し、宮廷の儀式「菊花の宴(重陽の宴)」となり、全国の神社によっては「菊花祭」「菊花展」と称し、氏子崇敬者の身体健全・延命長寿を御祈願する神事や、境内に数多くの菊花を展示する催し物が行われます。
Q.「十五夜」と神社の関係は?
A. 「十五夜」とは、旧暦8月15日、新暦では9月中旬あるいは下旬をさし、「お月見」「名月」「仲秋の名月」ともいわれ、昔から月見の好時節として詩歌や俳句の題材になっており、こと神社に於いても満月と雅楽を鑑賞する「観月祭」「管弦祭」等と称した催しが行われます。
因みに、関西から中国地方では「芋名月」といい、里芋を供えて感謝の気持ちを表す風習があり、元々はイモ類の収穫祭を行う日だったそうです。
Q.「神無月」の由来について
A. 10月は旧暦の月名(「和風月名:わふうげつめい」)では「神無月(かんなづき)」といい、神々が島根県出雲に出かけて、その地域を空ける月だから、ということは多くの方がご存知だと思います。対して神々が集まる出雲だけは「神有(在)月」と呼びます。そのため出雲大社では旧暦10月10日(現11月11日)には神々をお迎えする「神迎祭」、12日に「神在祭」を行います。そして神々は、神事(かみごと)、すなわち人には予めそれとは知ることのできぬ人生諸般の事どもを神議り(かむはかり)にかけて決められるのです。
実は、上記以外にも月名の由来については諸説あります。伊勢神宮で行われる「神嘗祭(かんなめさい)」という新穀を神に捧げる神事がありますが、この神嘗のための月ということで「神嘗月」、これが転化したという説。陰陽説からくるものでは、神は陽であり、10月は陽の気がない極陰の月、「陽(かみ)無月」が「神無月」に転化したという説もあります。また、黄泉の国に行かれたイザナミ尊は陰神とされ、10月に出雲で崩御されたため、「(母)神の無い月」という考え方もあります。
Q.「案山子(かかし)」も実は神様?
A. 秋は稲刈りの季節です。田んぼを守っていた案山子も役目を果たしてほっと一息ついていいるかもしれません。実はこの案山子も神様です。
名前は「久延毘古(クエビコ)」。別名を「山田之曽富騰(やまだのそほど)」といいます。「曽富騰」とは案山子という意味だそうです。「クエ」とは「崩(ク)エ」ということで、この神は知恵者ですが、歩く力を持っていなかったと言われております。「立っている神」と「立っている人形」という関連で、田を荒らす鳥獣から守る”田の神の依代(よりしろ)”として繋がったと考えられています。身体の一部が欠けているものは優れた不思議な力を持っていると考えられていました。
Q.酉の市について
A. 11月の酉の日に鷲神社等各地の祭礼があり、この日に境内近くに縁起物を売る市が立つ酉の市。鷲神社のご祭神、ヤマトタケルノミコトの御神徳から、武運長久の信仰があったそうです。ヤマトタケルノミコトの命日が酉の日という説もあります。それが江戸時代頃、この市で農具等を並べたことから商売繁盛の信仰が盛んになりました。
酉の市には様々な縁起物が並び、特に有名なのは豪華な飾りがついた熊手ではないでしょうか。これは「福をかき集める」ためとされ、大きいものから小さいものまで種類が豊富です。年によっては「三の酉」まである年もあります。昔から三の酉まである年は火事が多いと言われています。
Q.「煤払い」について
A. 「煤払い」は「煤掃き」ともいわれ、正月を迎えるにあたって、12月13日に大掃除することを言います。この「煤払い」が、この日に行われるようになったのは、この日が正月の「事始め」といって、正月の準備を始める日であることに因むものといわれています。現在では一般の家庭、または会社等で「暮れの大掃除」として行われていますが、そもそも単なる掃除ではなく、年神さま(歳徳神=新年の五穀豊穣を約束してくれる神様)を祀る準備のための神道的な行事なのです。
Q.「忌服(きぶく)」について
A. 近親者がお亡くなりになり、初詣をどうしたらよいか、というお問い合わせがよくあります。お亡くなりになってから、一定期間は喪に服するわけですが、これを「忌服(きぶく)」といいます。「忌」とは死者の穢れが身についているからその穢れを周りに及ぼさないように、一定期間の行いを慎むことで、「服」とは喪服を身に着けて悲しみを表すことです。期間を設けているのは、死者へ向けられた悲しみを次第に薄ろがせて、慎んだ生活状態から少しずつ平常の生活状態へ戻すためだといわれています。
期間は、最長で親が亡くなった場合、「忌」・「服」それぞれ50日間・13ヶ月間(血縁関係により順次短縮されます)となります。因みに仏教では死を穢れと考えることはないので、期間中、お寺へお参りする分には何ら差し支えないようです。
Q.「足袋」の由来について
A. 11月は晴れやかに着飾ったお子様が神様にご挨拶をする姿を多く拝見でき、こちらも心が晴れやかになります。途中履きなれない草履で足を痛める子は、靴下を履かせてもらったりしている姿も見受けられます。
この足袋が今の形になったのは実は江戸時代なのだそうです。足袋の先祖は「襪(しとうず)」と呼ばれる、親指と人差し指の間が離れていない今の靴下のような形をしていました。襪は古事記にも記載されており、平安時代には殿上にあがる際の高貴な方が履く正式な履物となったそうです。
戦国・室町時代になり、浅沓では戦いで走りまわるには不便なため草履を履くようになりました。それに合わせて襪もつま先がわれて皮製の足袋になりました。長い間、高貴な許された者しか着用されなかった足袋は、元禄頃に足首でとめるコハゼがつき、その頃から庶民にもはかれるようになったようです。
今は姿を消した襪ですが、伝統を非常に大切にする伊勢の神宮では今も神職さんたちは御祈祷をする神楽殿で襪を履いています。神宮へお参りされた際は足元も注目ですね。

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