氷川通信
年間の祭典 2月 祈年祭
毎年2月17日、全国の神社で「祈年祭(きねんさい)」が行われます。祈年祭は「といごいのまつり」とも呼ばれます。「とし」とは稲のことであり、農業が始まる前にその年の稲の稔りの豊作を願う豊穣祈願祭となります。
祈年祭の歴史は古く、天武天皇4年(675年)に畿内を中心に行われたとされ、大宝元年(701年)の大宝律令(日本古代の基本法)制定後、日本全国の神社で行われるようになりました。なお、制定当時は毎年2月4日に行われていたようです。
1年の農耕儀礼のはじまりということもあり、祈年祭は五穀豊穣のみならず、国家の安泰、国土繫栄なども願う、国をあげた大規模な祭祀に発展してゆきました。祭の前には物忌みをして心身を清浄に保つことが求められるなど、厳粛に執り行われました。
また、国家の重要な祭祀として、すべての官社には神祇官(じんぎかん・諸国の官社を管轄する役所)主導で幣帛(へいはく・神様へのお供えもの)が捧げられました。平安時代中期に成立した『延喜式』によれば、全国の2861社に幣帛が捧げられ、祈年祭が行われたとの記述があります。なお、官幣大社の場合は、絹・麻・木綿といった布帛(ふはく)に加え、弓・盾・酒・海菜など様々なものが供えられたようです。
その後、国家祭祀としての祈年祭は徐々に衰退してゆき、応仁の乱以降は一度廃絶しました。明治2年(1869年)に復興を遂げるも、昭和20年(1945年)の終戦後に出されたGHQによるいわゆる神道指令により、国家祭祀としての祈年祭は廃止されるに至ります。しかし、祈年祭はその年の豊穣を願う春の予祝行事(田遊びやお田打ちなど)として民間の人々の生活でしっかりと息づいており、現代へ途絶えることなく連綿と受け継がれてきました。