氷川通信
絵馬の由来
神社にご参拝をされた際に、願いごとを書き奉納をされた絵馬をご覧いただく機会は多かと思います。絵馬の由来は、生きた馬を神様に捧げた「神馬(しんめ)」にあります。馬は神聖な神様の乗り物として、儀式や祈願の際に奉納をされていました。例えば、日照りが続くのときは黒馬を、雨が続くときには白馬を奉納する風習もあったようです。
ただ、神事のたびに生きた馬を奉納することは容易なことではありません。そこで木や土でつくった馬のぞうを奉納するようになり、やがてそれを簡略化し、木の板に馬の絵を書いて奉納するようになりました。奈良時代の遺跡から絵馬が出土していますが、現代のように様々な図案が描かれるようになったのは鎌倉時代以降と考えられています。
絵馬に神像や神様の持ち物、神様の使いなど描かれるようになり、一般庶民の間にも絵馬を奉納する習慣が広まってゆきました。安土・桃山時代には、絢爛豪華な文化の影響を受け、狩野派の画家が描いた華麗な絵馬が流行したようです。
赤坂氷川神社境内にはかつては額堂があり、奉納された大絵馬が掲げられていました。現在は社宝として狩野豊久(1689 年~ 1767 年)が描いた屏風絵4点が残されています。これは扁額形式ではなく、あらかじめ屏風に仕立てられたもので、獅子が一図、神馬が3図描かれています。狩野豊久は、徳川吉宗に仕えた絵師で、将軍の意向を狩野家などの幕府御絵師に伝えて指導する役割を担っていました。そうしたことから、この額絵の奉納も吉宗公の意向によるものと考えられています。