ご紹介

赤坂氷川神社のご紹介

『新撰東京名所図会』(明治22年)には以下のように書かれています―

「氷川神社は、氷川町52番地に鎮座せる府社にして、赤坂区第1の鎮守社たり。同町中央窪地より西に向い、甃石を踏みて進めば、高燥の丘あり、是れ即ち神苑なり。麓に花崗石のたまがきいかめしく、右に四合稲荷の小祠あり。


石段に上らむとする所、左右2基の石灯籠を据えたり、享保9年閏4月氏子の奉納せるもの、又石階33級を尽くせば、此所にも甃石を敷列べ石狛犬左右に蹲居せり、45歩を移せば、花崗石の鳥居、屹として聳え、氷川大明神の5字を偏せり。尚鍵の手形の甃石を右に進み、鳥居を潜り左に水屋を見て中門を入れば、社前に達するを得べし。


拝殿は、銅瓦葺、障泥博風、桝組、向拝付勾欄造、惣朱塗上蔀なり、本殿、幣殿其の後に在り青簾半ば巻きて、神鏡長えに輝き、神霊灼に畏し、賽客をして思わず頭を垂れしむ。」

(『港区の文化財・第13集』より」)

赤坂氷川神社 境内のご案内

境内案内図

現社地は、忠臣蔵・浅野内匠頭の夫人 瑤泉院の実家である浅野土佐守邸跡で、大石内蔵助が討ち入り前に訪れて別れを告げたといわれています。


「雪の別れ」で有名な「南部坂」が近くにあります。

御社殿

天井絵・額絵

▲社殿格天井絵

▲狩野豊久筆 獅子額絵の屏風

昭和4年遷座二百年を記念し、河合玉堂の弟子であり氏子であった長華崖(ちょうかがい)による格天井の花鳥、宮部衆芳による壁間の鳳凰の絵図を加えた、総欅造り銅葺朱塗にして、丹青荘重の一間社流造の広大にして壮麗な美は東京でも屈指とされています。


昭和27年11月都重宝建造物の指定を受け、また社宝紙本着色神馬額絵・獅子額絵の四雙の屏風(狩野豊久筆)は、昭和29年11月に都重要文化財に指定されました。


拝殿には、磯田長秋画・明治44年横山政方氏より奉納の「祭礼山車行列額絵」(平成11年10月港区有形民俗文化財に指定)が納められており、氏子町赤坂21ヶ町の山車13台が神領内を巡行する当時の祭礼の様子を窺い知ることができます。


磯田長秋(1880〜1947)、本名・内田孫三郎は、小堀鞆音に師事、のち同門の安田靱彦らと「紅児会」を創立した、近代歴史画を描いた草分けの一人です。


氷川山車』については、こちらをご覧下さい。

旧紀州家 櫓太鼓

紀州徳川家の赤坂藩邸にあった櫓太鼓で、明治2(1869)年頃に神社に納められました。太鼓の内面に墨書で「紀州邸 櫓太鼓 天保十亥年十二月吉日」「江戸浅草新町 丸山□右衛門」「御太鼓師重好」と記されています。


時を告げる太鼓で、春から秋には午前5時に、秋から春には午前6時に打ち鳴らされました。現在も毎日打ち鳴らされています。

額堂

【月岡芳年筆『ま組』火消し絵馬】港区指定文化財

▲『ま組』火消し絵馬

『ま』組は赤坂・六本木界隈を受け持つ町火消しで、この絵馬には火事場に向う気負い立つ火消したちの姿がいきいきと描かれ、明治12年に当神社に奉納されました。その時代の火消しの様子を知るものとしても貴重で、平成5年に文化財の指定を受けました。


筆者の月岡芳年(1839〜92)は、江戸末期から明治初期に活躍した代表的な浮世絵師で、12歳で歌川国芳(1797〜1861)の門人となり美人画のほか歴史画や物語画を描き、浮世絵界に新風を吹き込みました。代表作に「月百姿」シリーズなどがあります。

奉納絵馬6点

▲額堂

月岡芳年筆の「『ま組』火消し絵馬」とともに額堂内に掲げられた6点の絵馬です。江戸時代末期から明治初期にかけての著名な画家・河鍋暁斎や月岡芳年・柴田是真の描いた絵馬が含まれています。芳年の絵馬は、氷川神社祭礼に際し町内を巡った山車のひとつである「猩々(しょうじょう)」の山車の高欄と人形が描かれており、山車の復原にも貴重な資料となります。

▲奉納絵馬

勝海舟ゆかりの四合(しあわせ)稲荷神社

▲四合稲荷神社

▲幕末三舟の掛け軸(氷川神社所蔵)
左:高橋泥舟筆 中央:勝海舟筆
右:山岡鉄舟筆

御祭神…
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
(食物の神、殊に稲の神)
例祭日…
4月15日
1. 古呂故(ころこ)稲荷
: 赤坂一ツ木二番地、古呂故天神社境内に鎮座
2. 地頭(じぬし)稲荷
: 氷川神社遷座以前より拠の地に鎮座
3. 本(もと)氷川稲荷
: 本氷川神社隣接、別当盛徳寺の地内に鎮座
4. 玉川(たまがわ)稲荷
: 赤坂門外の御堀端、現弁慶橋のあたりに鎮座

以上の四社を明治31年遷座合祀し、幕末より赤坂在住の勝海舟により、『四合(しあわせ)稲荷』と称えられました。


大正14年に、鈴降(すずふり)稲荷神社(赤坂一ツ木町に鎮座)、及び縁起(えんぎ)稲荷神社(赤坂丹後坂下に鎮座)の二社を、 また昭和9年に明徳(めいとく)稲荷神社(赤坂新町に鎮座)を遷座合祀し、現在に至っています。勝海舟筆の「四合稲荷社」という扁額も現存しております。

石燈籠

門の内外に立つ2対4基の石燈籠です。門内の本殿前に立つ2基は、赤坂表伝馬町・裏伝馬町・元赤坂町(現在の元赤坂1~2丁目)の講中が、享保9年(1724)閏4月に奉納したものです。氷川神社が現在の地に遷座したのは同15年であるため、遷座前の「古呂故が岡」(現在の赤坂4丁目1付近)にあったときからのもので、遷座の際に移されました。門外の2基は、遷座の年に岡崎城主老中水野忠之が奉納したものです。

力石

神社正面の入り口を入ってすぐの左手奥に「力石(ちからいし)」があります。これを持ち上げて、力自慢を競うものですが、この石には「三十五貫」(約130キロ)と切付があり、神社境内の土中から発見されました。この力石にまつわる話は残念ながら伝わっていませんが、港区内の力石14点のほとんどが海外沿いの神社に残されているのに対し、この1点だけが海岸から遠く離れたこの地にあり、興味深い例です。

境内地の稲荷神社

▲西行稲荷神社

▲九神社

西行稲荷神社…享保の時代、田町5丁目(現在の赤坂3丁目付近)に西行五兵衛というものがおり、榎坂を通行中に狐の形をした三寸程の稲荷のご神体らしい像を拾い、勧請したため、「西行稲荷」としました。


町の発展に伴い、大正10年氷川神社境内に遷宮し、別名「火伏の稲荷」ともいわれ、火災除のご利益があるといわれています。


毎年5月に田町三四五町会が中心となり例祭が行われます。

九神社…天祖神社・春日神社・鹿嶋神社・八幡神社・諏訪神社・秋葉神社・厳島神社・金刀比羅神社・塞神社、以上の九社を合祀したお社です。


九社それぞれへの遥拝所的な要素があります。

天然記念物の大イチョウ

▲樹齢400年の大イチョウ

目通り(地上1.5mの高さ)の幹径約2.4m、幹周約7.5mを測る樹齢400年の巨樹です。神社が現在地に建立された享保15年(1730年)には、すでに100年を越える樹齢を有していたこととなり、それ以前からこの地で成育していたと考えられます。


イチョウは生きた化石とも言われ、一億五千万年前には地球上の至る所で生い茂っていました。氷河期に絶滅しかけましたが、中国大陸南東部に残っていたものが、日本に渡ってきたといわれています。落葉性の大木で成長も早く、高さ30mにも成長します。雌雄異株であり、この木は雄株です。


港区内に現存するイチョウでは、最大である善福寺「逆さイチョウ」(国指定天然記念物)に次ぐ大きさと樹齢を保っている貴重な樹木です。